世界基準のヒプノセラピー資格講座、クリアライト・ヒプノセラピースクール

クリアライトのヒプノセラピー資格講座
NGH米国催眠士協会とABH米国催眠療法協会のマスタートレーナーが教える、ヒプノセラピー資格講座です。 NGH米国催眠士協会とABH米国催眠療法協会のマスタートレーナーが教える、ヒプノセラピー資格講座です。

ヒプノセラピーの歴史について

ヒプノセラピーの歴史と潜在意識のイメージ

【目次】ヒプノセラピーの歴史

ヒプノセラピーとは、催眠を使って、潜在意識にアクセスし、肯定的な変化を促す方法ですが、「人類がいたところには常に催眠があった」と言われるほど、非常に長い歴史を持っています。

古代の儀式や祈り、シャーマンのトランス状態なども、現代の視点から見れば催眠現象と深く関係していると考えられています。1860年代には、ピエール・ジャネー(Pierre Janet)やアルフレッド・ビネー(Alfred Binet)といった心理学者たちが、催眠現象についての本格的な研究を行っていました。

当時の実験は非常に画期的でした。例えば、催眠を使って患者の皮膚に意図的に変化を作り出し、それを再び消し去るといった試みも行われていました。これは、心の働きが身体に直接影響を与えることを示す驚くべき例であり、現代でいう「心身相関」や「プラセボ効果」の先駆けともいえるものです。

現在のヒプノセラピーもまた、こうした数千年にわたる歴史と、近代科学による研究の積み重ねの上に成り立っています。心と身体のつながりを最大限に活用する、実践的なアプローチの源流を紐解いていきましょう。

古代エジプト時代

古代のエジプトの眠りの寺院での催眠の様子

催眠はもう何千年にもわたり実践されてきた歴史があります。例えば、サンスクリット語で書かれた書物に、催眠トランスを使用することでヒーリングを起こしていたことや、「眠りの寺院(Sleeping Temple:古代のヒーリング施設)」に関する記述が確認されています。

この寺院に入っていくと、深いトランス状態に入るような仕掛け(構造)になっており、最後に祈祷師(新官)から暗示が与えられることで、多くの病が癒されてきました。

古代エジプトのパピルス紙にも「眠りの寺院」の存在が詳細に記載されており、人類最古のヒーリング手法としてトランスが活用されていたことが分かっています。

▼ 【動画解説】人類最古の心理療法
マスタートレーナー今本が語る「催眠とヒプノセラピーの歴史」

「催眠はいつから始まったのか?」マスタートレーナー今本が、紀元前エジプトの「眠りの寺院」から現代のアプローチまで、ヒプノセラピーの深遠な歴史を解説します。ミルトン・エリクソンなどの精神科医を経て、世界最大級の催眠団体(NGH・ABH)へと受け継がれた、人類の知恵とも言える癒しのプロセスの変遷をご覧ください。

1500年代:パラケルスス

パラケルスス(Paracelsus)の肖像

1500年代になると、スイス出身の医師パラケルスス(Paracelsus)が現れます。彼は当時の医学の常識にとらわれない、非常に革新的な考え方で知られていました。

彼は梅毒に対する水銀治療を発案した人物として有名ですが、それだけでなく、「人間の身体には本来、自然治癒力が備わっている」という考えを重視していた点でも、現代のセラピーに通じる重要な存在です。

また彼は、磁石を使ったヒーリング(磁気ヒーリング)を始めた最初期の医師の一人でもありました。この「目に見えない力が身体に影響を与える」という発想は、後のメスメルによる動物磁気、そして現代の催眠やエネルギー療法の発展へとつながる源流となっています。

実際に、多くの患者が彼の独創的な手法によって回復したと伝えられており、彼の思想は今もなお多くのセラピストに影響を与え続けています。

1600年代:バレンタイン・グレートレイクス

バレンタイン・グレートレイクス(Valentine Greatrakes)の肖像

1600年代になると、アイルランド人のバレンタイン・グレートレイクス(Valentine Greatrakes)が登場します。

彼は当時、「触れることで病を癒す力を持つ人物」として広く知られていました。マッサージのような手かざしと磁石(磁気ヒーリング)を組み合わせて行い、その施術によって多くの人々が実際に回復したと伝えられています。

彼のもとには国内外から多くの患者が集まり、その評判は王族にまで届いたとも言われています。人々は敬愛を込めて、彼のことを「偉大なアイルランドのストローカー(撫でる人)」と呼びました。

このような「触れることで癒す」という発想や、目に見えないエネルギーを活用する考え方は、後にメスメルへと引き継がれ、現代の催眠療法の発展へとつながっていく非常に重要な源流の一つとなりました。

マクシミリアン・ヘル神父

1725年になると、イエズス会の牧師であるマクシミリアン・ヘル神父(Maximilian Hehl)が登場します。

彼もまた磁石を使って治癒を起こしていました。

しかし催眠の歴史において彼の名前がよく取り上げられるのは、彼の若い弟子で、まだ若い医師であったフランツ・アントン・メスメル(Franz Anton Mesmer)の師であったからです。メスメルはウィーン出身で、彼によってヘル神父の名前は催眠の歴史に残ることになります。

18世紀ーフランツ・アントン・メスメル

フランツ・アントン・メスメル(Franz Anton Mesmer)の肖像

フランツ・アントン・メスメルは、ウィーン大学で医学を修めた後、ヘル神父が行っていた磁気ヒーリング(磁石を用いた治療)に興味を持ち、自らの患者に試みます。

当時の主要な治療法の一つに、血管を切って血を抜く「瀉血(しゃけつ)療法(bloodletting)」がありました。メスメルは患者の血管を開き、しばらく血を流させた後、切り口に磁石をあてました。すると、不思議なことに血は止まったのです。

ある日、メスメルは血を止めるための磁石が見つからず、とっさにその辺にあった棒をつかんで患者の切り口にかざしました。すると、やはり血は止まったのです。つまり、磁石そのものを使わなくても、治療効果が現れたのです。

メスメルは、この力の正体を、生き物の体に流れる目に見えないエネルギー、すなわち「動物磁気(Animal Magnetism)」であると結論付けました。

彼の手法は、現代の催眠に置き換えて言えば、言葉を使わない「ノンバーバルな暗示(非言語暗示)」であり、これが患者をトランス状態へと導き、身体的な変化(止血)を引き起こしたのだと考えられています。

メスメルのパリでの活動

メスメルはウィーンで医師として成功を収めた後、フランスのパリへ移ります。フランスの上流階級を中心に、多くの人々がメスメルの磁気治療を受け、彼は大きな成功を収めました。

しかしその成功は同業の医師たちの反感を買い、彼らはメスメルの手法を「いかさま」だと言い出します。

あまりにも有名になりすぎたメスメルは、当時の王からも目をつけられます。王は諮問委員会を結成し、当時「動物磁気(Animal Magnetism)」と呼ばれていた彼の手法が本物かどうかを調査させることにしました。

アントワーヌ・ラボアジェ

諮問委員会の一人が、アントワーヌ・ラボアジェ(Antoine-Laurent de Lavoisier)です。彼は質量保存の法則を発見した著名な科学者で、「近代科学の父」とも呼ばれています。

ベンジャミン・フランクリン

もう一人は、当時パリに駐在していた米国の外交官、ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)です。彼の肖像画はアメリカの100ドル紙幣に登場しています。

ジョゼフ・ギヨタン

そしてペインコントロールの権威として有名だった医師、ジョゼフ・ギヨタン(Joseph Ignace Guillotin)も諮問委員会のメンバーでした。

◆諮問委員会の調査結果は?

彼らはメスメルに対する調査結果をまとめましたが、フランクリンはこう言いました。

「メスメルは彼の手から目に見える如何なるものも出していない。よって、メスメルはいかさまに違いない。」

これによりメスメルはパリを去ることになり、地元のウィーンに戻ります。

ヒーリングのためのエネルギーワークという概念が、西洋の医学界や心理学界から長い間無視されることになった背景には、この事件の影響が大きいと言われています。

メスメルはパリから追放されましたが、それでもなお、多くの人がメスメリズムを実践しました。その中に、ピュイゼギュール侯爵(Pusseguyr)がいます。彼は貴族でありメスメリストでもあり、彼が作り出した「夢遊(ソムナンバリスト:somnambulist)」という言葉は、今でも深いトランス状態を指す言葉として使われています。

19世紀ージョン・エリオットソン

ジョン・エリオットソン(John Elliotson)の肖像

場所をイギリスに移しましょう。ロンドン大学医学部で教鞭をとっていたジョン・エリオットソン(John Elliotson)も、メスメリズム(動物磁気)の熱心な信奉者でした。

フランスの科学アカデミーでメスメリズムが否定された後も、彼は自らの臨床においてその高い有用性を確信し、使い続けました。しかし、ロンドン大学という権威ある組織は、医学界の体面を守るため彼にメスメリズムの放棄を強く勧告します。

エリオットソンは「医学的な真実を探求することこそが医師の使命である」とその勧告を拒否し続けましたが、その結果、最終的にはイギリスの医学界から追放されるという、催眠の歴史における衝撃的な事件へと発展しました。

催眠の名付け親、ジェームス・ブレイド

ジェームス・ブレイド(James Braid)の肖像

1840年ごろ、ロンドンの若い医師ジェームス・ブレイド(James Braid)は、ラ・フォンテインというメスメリストがデモンストレーションを行うという噂を耳にします。

当初は医師としての正義感から「まだそんなイカサマが行われているのか!」と憤り、その正体を暴くつもりで参加しましたが、実際の手法を目の当たりにするにつれ、ブレイドはその現象の本質に魅了されていきました。

彼が特に注目したのは、施術中に患者の目が上を向き、一点を凝視したような状態になることでした。この「一点集中(凝視)」こそが、通常意識からトランス状態へと導く鍵であると確信したのです。

ブレイドは、この状態をギリシャ語で「眠り」を意味する「Hypnos」から、「Hypnosis(催眠)」と名付けました。1843年には人類初となる催眠の専門書を出版し、魔術的なものと思われていた催眠に、科学的な光を当てて世に広めました。

ジェームズ・エスデイルの催眠麻酔手術

同じ時期、当時イギリス領であったインドで活躍していた医師がいました。彼の名はジェームズ・エスデイル(James Esdaile)です。

彼は「メスメリズム・イン・インディア」という本を書き、メスメリズムを主に痛みの軽減とコントロールに利用していました。いわば催眠麻酔です。

エスデイルはメスメリズムを使って500件以上もの手術を行いました。それらの多くは、通常なら大変な苦痛を伴う手術でしたが、メスメリズムの使用により、患者はより少ない苦痛で手術を受け、回復も早かったと報告されています。

しかし、イギリスに帰国してこれを報告した際、多くの医師は彼の主張を信じませんでした。痛みの軽減にメスメリズムを使っているとして、イギリス医学界から追放されかけたのです。

こうした議論が続きましたが、やがてクロロホルムが発見され、催眠によるペインコントロールの議論は下火になっていきました。

ナンシースクールとフロイト

1864年、フランスのナンシーという町にリエボー(Liebault)という医師が登場します。彼は催眠を使ったセラピーの手法を発展させました。

リエボーの同僚にベルネーム(Bernheim)という医師がいました。彼は坐骨神経痛の患者をリエボーに診てもらい、患者の症状がほとんど一日で治ったことをきっかけに、この不思議な「催眠」という現象を研究し始めます。

その後、リエボーとベルネームは協力してナンシー催眠スクールを設立しました。

このナンシースクールで、後に精神分析家として有名になる若き日のジークムント・フロイト(Sigmund Freud)が、リエボーとベルネームのもとで熱心に催眠を学び、実践していたことでもよく知られています。

しかし最終的にフロイトは催眠を使わなくなります。公には、ある女性患者がトランスの中で突然飛び上がり、フロイトにキスをしたことにショックを受けたからだと言われています。

裏話としては、フロイトはコカインの使用により歯がボロボロになり、入れ歯がうまく合わず、催眠誘導に必要な話し方がうまくできなかったとも言われています。

彼にはブロイアー(Breuer)という催眠家でありライバルがいました。そこでフロイトは、彼に対抗するように「話し合い療法(Talking Therapy)」を発案します。これは100〜300時間ものセッションを必要とする、時間のかかる療法でした。

この「話し合い療法」が、後に「精神分析(Psychoanalysis)」として知られるようになり、ヨーロッパの心理学の歴史を大きく変えていきます。その流行の影で、催眠は一時的に影をひそめることになりました。

ウィリアム・ジェームス

1890年、ちょうどフロイトの心理学が流行する前に、ウィリアム・ジェームス(William James)は、心理学における最初の本格的な書籍である2部作『心理学原則(Principles of Psychology)』を出版します。

これは、催眠家や対人援助職に携わる人にとって、一度は目を通しておきたい名著ですが、残念ながら完全な日本語訳は出版されていません。

分析派と行動主義

20世紀の初頭、心理学には二つの大きな流れが生まれました。

一つはフロイトの流れをくむ精神分析の派です。代表的な人物は、フロイトの弟子であるカール・ユング(Jung)やアドラー(Adler)です。

もう一つは、精神分析派に同意しなかった行動主義の流れです。

行動主義は、アメリカの心理学者ウィリアム・ツイットマイヤー(William Twitmeyer)の研究から始まります。彼は、患者の膝をハンマーで叩くと足が反射的に上がる「膝蓋反射」に着目しました。

1902年、彼はアメリカ医学協会に「膝蓋反射」という論文を発表します。その第二部で、何度か膝を叩いた後、叩くふりをしただけでも足が上がるという、条件反射に関する興味深い研究結果を報告しました。

これは条件反射研究のごく初期の重要な論文でしたが、アメリカ医学協会はその重要性を十分に理解しませんでした。

◆条件反射とパブロフ

このツイットマイヤーの論文は、ロシアの研究者イワン・パブロフ(Ivan Pavlov)のもとに渡ります。

パブロフはこの論文を読み、2年後の1904年に、犬を使った有名な実験を含む「条件反射(Conditioned Reflexes)」の論文を発表し、心理学はさらに新しい方向へ進み始めました。

心理学の発展とアメリカ合衆国へ

催眠に関する研究は、ヨーロッパ大陸からアメリカ合衆国へと引き継がれていきます。

ハーバード大学のボリス・サイディス(Boris Sidis)は『暗示の心理学(The Psychology of Suggestion)』を出版し、その中で催眠と暗示の関係を詳しく説明しました。

同時期の1903年、イギリスではミルヌ・ブラムウェル(Milne Bramwell)が『催眠の歴史(History of Hypnotism)』を出版し、それまでのさまざまな催眠手法を体系的にまとめました。

その後しばらく大きな進展は見られませんでしたが、1943年、エール大学のクラーク・ハル(Clark Hull)が『催眠と暗示性(Hypnosis and Suggestibility)』を出版します。この本は、心理学的な観点から催眠を本格的に扱った最初の書籍であり、若き日のミルトン・エリクソン(Milton Erickson)にも大きな影響を与えました。

現代催眠の父ーミルトン・エリクソン

ミルトン・エリクソンの肖像

ミルトン・エリクソン(Milton Erickson)は1920年から1980年までの約60年間、ほとんど毎日のように催眠セッションと研究に人生を捧げました。

1日に最大14人のクライアントを診続けてきた圧倒的な臨床経験から生まれた彼の手法は、それまでの「命令型」の催眠とはまったく異なるアプローチでした。

彼は「変化の責任をクライアントにゆだねる」という、非常に許容的でユーモアに満ちた催眠スタイルを特徴としています。

今では「エリクソン催眠」と呼ばれ、NLP(神経言語プログラミング)の言語パターンも彼の詳細な分析から生まれています。エリクソン催眠は、現代における催眠のあり方を根本から大きく変えたと言えるでしょう。

ジョージ・エスタブルック(George Estabrook)

ジョージ・エスタブルック(George Estabrook)はコルゲート大学で教鞭をとり、アメリカ軍事関係者に対して催眠を用いたメンタルトレーニングを行ったことで知られています。

エリクソンが許容的な催眠手法を用いたのに対し、エスタブルックは古典的催眠に見られるような、直接的で権威的なアプローチを得意としました。

エリクソンの登場以来、「許容的な催眠こそが現代催眠だ」と考える人も多いのですが、場合によっては権威的なアプローチが良い結果につながることもあります。

そのため、エリクソン催眠とともに、エスタブルックの催眠スタイルも現代の多くの催眠家の研究対象になっています。

アンドレ・ウェットゼンホッパー(Andre Weitzenhoffer)

20世紀を代表する催眠家として、アンドレ・ウェットゼンホッパー(Andre Weitzenhoffer)もまた、後世に大きな業績を残しました。

特に彼の著書『催眠の一般的なテクニック(General Techniques of Hypnotism)』は、多くの催眠家に愛読されている良書であり、その中で歴史上のさまざまな催眠テクニックを簡潔にまとめています。

医療催眠の道ーデーブ・エルマン(Dave Elman)

デーブ・エルマン(Dave Elman)の肖像

エリクソン、エスタブルックと並び、20世紀の催眠に多大な影響を与えたのが、デーブ・エルマン(Dave Elman)です。現在使われている催眠によるペインコントロール、催眠出産、年齢退行などは、彼の貢献なしには発展しえなかったと言われています。

20世紀初頭、アメリカの医療現場では手術に伴う高い死亡率が課題でした。主な原因は麻酔量のコントロールミスにあり、麻酔を補完・軽減するために催眠を活用する動きが起こります。そこで白羽の矢が立ったのが、ステージ催眠術師の息子として育ち、人を一瞬でトランスへ導く技術に長けていたエルマンでした。

特に彼の開発した「即効誘導」は、権威的スタイルと許容的スタイルを巧みに融合させたもので、短時間で深いトランス(ソムナンビュリズム)へ導く非常に優れた手法です。

エルマン自身は心理学や医学の学位を持っていませんでしたが、数多くの医師や歯科医に催眠を指導したことで、現在ではアメリカの医療現場で広く彼の手法が採用されています。彼の著書『Hypnotherapy』は、今や催眠家のバイブルとなっています。

レスリー・ルクロン(Leslie Lecron)

観念運動を使った「指の動き」で潜在意識レベルの答えを引き出す方法は、現代の催眠手法で非常によく使われていますが、これらの手法を広く普及させた一人がレスリー・ルクロンです。

例えば、「はい」のサインを右手人差し指、「いいえ」のサインを左手人差し指と決めておき、クライアントをトランスに誘導して、口ではなく指の動きで答えさせる、という手法です。

この方法によって、学生のテスト成績が上がったという実験結果も報告されています。

ジェフリー・ザイク(Jeffrey Zeig)

ジェフリー・ザイクは「エリクソン財団」の所長であり、アーネスト・ロッシ(Ernest Rossi)とともに「エリクソン催眠」の主要な著者・研究者です。

エリクソン催眠が伝説的な存在になっているのは、彼らの功績によるところが大きいと言えるでしょう。

ABH創設ークラズナー博士(A. M. Krasner)

A.M.クラズナー博士(Dr. A. M. Krasner)の肖像

ヒプノセラピーの第一人者として数多くの臨床現場で活躍したのち、米国催眠療法学院(A.I.H.)を設立。数千人ものヒプノセラピストを育成したA.M.クラズナー博士(Dr. A. M. Krasner)。

彼は、世界最大級の催眠団体の一つであるABH(米国催眠療法協会 / American Board of Hypnotherapy)の創設者でもあります。彼が体系化したメソッドは、現代のアメリカにおけるヒプノセラピーの強固な基礎となっており、日本国内の多くのスクールでもその教えが継承されています。

著書『Wizard Within』(邦題:『クラズナー博士のあなたにもできるヒプノセラピー』)は、今でも初心者が潜在意識の仕組みを学ぶための名著として知られています。

前世療法のブライアン・ワイス(Brian Weiss)

ブライアン・ワイス博士(Dr. Brian Weiss)の肖像

元々エリート精神科医であったブライアン・ワイス(Brian Weiss)は、あるセッション中の偶然の出来事から「前世療法(過去生療法)」という手法を見出しました。

これは、従来の催眠療法で行われる「年齢退行」や「胎児期退行」よりも、さらに深く時間軸をさかのぼるという画期的なコンセプトであり、世界中で数多くの癒しの報告例があります。

前世の記憶(あるいはイメージ)の信憑性については今も議論がありますが、「前世があると仮定してワークを行う」という前提の「前世イメージ療法」としても、非常に深い心理的な癒しが起こることが分かっています。そのため、クライアント自身が必ずしも前世の実在を信じている必要はありません。

スピリチュアルな側面ばかりが注目されがちですが、現在ではヒプノセラピーにおける「メタファー(比喩)」を活用した有効な心理技法の一つとして、確固たる地位を築いています。

タイムラインセラピー®タッ-ド・ジェームズ(Tad James)

タッド・ジェームズ博士(Dr. Tad James)の肖像

ヒプノセラピストであり、NLPマスタートレーナーでもあるタッド・ジェームズ(Tad James)は、画期的な心理技法「タイムライン・セラピー®」を開発したことで世界的に知られています。

この手法の登場によって、従来のヒプノセラピーの枠組みを超えた、より精密で強力な感情の解放やトラウマの癒しを、極めて短時間で行うことが可能になりました。

「タイムライン・セラピー®」は現在、NLPの高度なテクニックとして紹介されることが多いですが、その真髄を効果的に実践するためには、催眠トランス(深い変性意識状態)の誘導技術と、退行催眠に関する深い知識が不可欠です。

催眠とNLPという二つの強力なツールを融合させ、現代のセラピーをより実戦的、かつ洗練されたものへと進化させた功績は、計り知れないものがあります。

この記事の執筆者

今本 忠彦(いまもと・ただひこ)
CLEAR LIGHTヒプノセラピースクール代表

2008年より、2,000名以上のヒプノセラピストを養成。現在、CLEAR LIGHTヒプノセラピースクールにて、プロを目指す方々へ実践的な指導を行っている。

【主な著書】
・『世界基準のヒプノセラピー入門(河出書房新社)
・『7日間で成功する自分になる!「ヒプノコーチング®」(さくら舎)
日本におけるヒプノセラピー教育の第一人者として活動中。

催眠の歴史に関するよくある質問(FAQ)

Q:催眠(ヒプノセラピー)はいつ頃から始まったのですか?

催眠のルーツは非常に古く、紀元前の古代エジプトや古代ギリシャの「眠りの寺院」まで遡ります。当時は神官による暗示やトランス状態を用いたヒーリングが行われていました。近代的な「催眠」として体系化されたのは18世紀後半のメスメルによる動物磁気説を経て、1840年代にジェームス・ブレイドが「Hypnosis(催眠)」と命名してからになります。

Q:前世療法は歴史の中でどのように誕生したのですか?

現代の前世療法は、1980年代に精神科医のブライアン・ワイス博士が、患者への年齢退行中に偶然「前世」の記憶と思われるイメージに遭遇したことが大きな転換点となりました。もともと催眠療法の一部である「退行催眠」の応用として発展しましたが、現在では世界中で心理的な癒しを得るための有効なセラピー手法として定着しています。

Q:歴史的に見て、催眠は安全なものとして認められてきたのですか?

はい。1950年代には英国医学会(BMA)や米国医学会(AMA)が催眠を有効な治療手段として公式に承認しています。歴史の中では「魔術的」と誤解された時期もありましたが、現在ではミルトン・エリクソンやデーブ・エルマンらの功績により、科学的根拠に基づく安全な心理療法として、医療やカウンセリングの現場で広く活用されています。

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