世界基準のヒプノセラピー資格講座、クリアライト・ヒプノセラピースクール

CLEAR LIGHT Hypnotherapy
NGH米国催眠士協会とABH米国催眠療法協会のマスタートレーナーが教える、ヒプノセラピー資格講座です。 NGH米国催眠士協会とABH米国催眠療法協会のマスタートレーナーが教える、ヒプノセラピー資格講座です。

クリアライト・ヒプノセラピースクール公式ブログ

ヒプノセラピー(催眠療法)の歴史

2022年2月6日

マスタートレーナー今本忠彦この記事の執筆責任者:クリアライトヒプノセラピースクール代表:今本忠彦世界最大級の会員数と最も長い歴史を誇る米国のヒプノセラピストのプロ団体、NGH米国催眠士協会(National Guild of Hypnotists)のマスタートレーナーとして活動中。2009年より現在まで、800名を超えるプロのヒプノセラピストの養成実績を誇る。執筆書に、『世界基準のヒプノセラピー入門(河出書房新社)』がある。

ヒプノセラピーとは催眠を使って潜在意識にアクセスし、肯定的は変化を促すものですが、人類がいたところには催眠があったと言われるほど、とても長い歴史を持っています。

1860年代、ピエール・ジャネー(Pierre Janet)と、アルフレッド・ビネー(Alfred Binet)は深く入っているトランス状態を誘発させて深い催眠現象についての研究をしていました。そして、このときの実験はとても有意義なものでした。

例えば、催眠をつかって患者の手の皮膚に損傷を作り出し、それをまた消し去るということが行われていました。そして、この時代の研究されたことは私たちの身体をヒーリングするという観点からはすばらしいものでした。

◆古代エジプト時代

催眠はもう何千年にもわたり実践されてきた歴史があります。例えば、サンスクリット語で書かれた書物に催眠トランスを使用することでヒーリングを起こしていたことと、「眠りの寺院(Sleeping temple)」に関する事実が確認されています。

この寺院に入っていくとトランスに入るような仕掛けになっており、最後に祈祷師から暗示が与えられることで病が癒されます。

エジプトのパピルス紙にも「眠りの寺院」の存在が記載されており、ヒーリングのためにトランスが使用されていました。

◆1500年代
1500年代になると、パラケルスス(Paracelsus)が現れます。彼はスイス人のお医者さまで、梅毒の水銀治療を発案した人です。

又彼は、磁石をつかったヒーリングをはじめた最初の医者としても知られています。そして多くの患者がこの手法で病気を治しました。

◆1600年

1600年になると、アイルランド人のバレンタイン・グレートレイクス(Valentine Greatrakes)が登場します。

彼はマッサージのような手かざしと磁石をつかってヒーリングを起こしていました。人は彼のことを、「偉大なアイルランドのストローカー(撫でる人)」と呼びます。

◆1725年
1725年になると、イエズズ会の牧師である、マクシミリアン・ヘル神父(Maximilian Hehl)が登場します。

彼もまた、磁石を使って治癒を起こしていました。

しかし催眠の世界において彼の名前がよく取り上げられているのは、彼のある若い弟子でまだ若い医者であった、フランツ・アントン・メスメル(Franz Anton Mesmer)です。

メスメルはウィーン出身なのですが、彼によってヘル神父の名前は催眠の歴史に残されることになります。

◆メスメル登場

フランツ・アントン・メスメルはイエズズ会から地元のウィーンに戻り、ヘル神父が行っていた磁気ヒーリングを彼の患者に試します。その当時の主要な治療法に、流血療法(bloodletting)という手法がありました。

メスメルは患者の血管を開き、しばらく血を流させます。そしてすべてが終われば切り口に磁石をあてたのです。すると血は止まります。

ある日、メスメルは患者に血を流させ後に、血をとめるために磁石を探したのですが、見当たりません。

そこで、その辺の棒をつかんで患者の切り口にかざすと血が止まリます。

つまり、磁石を使わなくても血が止まったのです。

彼の一連のヒーリング手法は、後に「動物磁気(Animal Magnetism)」と呼なれます。

動物磁気を現代の催眠に置き換えて言えば、ノンバーバルな暗示(非言語暗示)であり、これがトランスを引き起こし血が止まったのだと言われています。

 

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◆メスメル、パリに行く

メスメルはウィーンでの医師としても成功を掲げ、彼はフランスのパリへ住居を移します。そして、フランスの特に上流階級の人達を相手に医者としてとても成功します。ほとんどすべてと言ってもいいほどの上流階級の人達がメスメルから磁気治療を受けます。そのこともあり、メスメルは大きな成功を収めた医師となります。

しかし彼の成功は同じ同業者である医者たちの反感を買い、彼らはメスメルの手法を「いかさま」だと言い出したのです。

あまりにも有名になりすぎた彼は、当時の王様から目をつけられます。

王様は諮問委員会を結成し、当時、動物磁気(Animal Magnetism)と呼ばれていた彼の手法が本当なのかどうなのか?これを調査するために、現在でも名前が残っている当時の超インテリと認識されていた3人を招待します。

アントワーヌ・ラボアジェ

その3人の中の一人に、アントワーヌ・ラボアジェ(Antoine-Laurent de Lavoisier)です。彼は著名な科学者であり、質量保存の法則を発見した、近代科学の父と称される人です。

ベンジャミン・フランクリン

もう一人は、米国人で当時の外交官としてパリに駐在していた、ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)です。

彼の肖像画はアメリカの100ドル紙幣に登場しています。

ジョゼフ・ギヨタン
そしてペインコントロールの権威として有名だった医師、ジョゼフ・ギヨタン(Joseph Ignace Guillotin)です。
◆諮問委員会の調査結果は?
彼らはメスメルに対して調査をした結果をまとめたのですが、フランクリンはこう言いました。

「メスメルは彼の手から目に見える如何なるものも出していない。

よって、メスメルはいかさまに違いない」

これにより、メスメルはパリを去る事になり、地元のウィーンに戻ります。

ヒーリングのためのエネルギーワークという概念は、長い間、西洋の医学界や心理学界からは無視されることになるのですが、この事件が大きく影響を及ぼしていると言われています。

メスメルはパリから追放されましたが、それでも尚、多くの人がメスメリズムを実践します。

その中に、ピュイゼギュール侯爵(Pusseguyr)がいます。

彼は貴族でありメスメリストでありましたが、彼が作り出した、「夢遊」ソムナンバリスト(somnambulist)という言葉は今でも深いトランス状態に対して使われています。

◆ジョン・エリオットソン

場所をイギリスに移し、ロンドン大学の医学部で教鞭をとっていた、ジョン・エリオットソン(John Elliotson)もメスメリズムの信仰者でした。彼はフランスでメスメリズムが否定された後も、メスメリズムを使い続けます。

しかし、ロンドン大学という権威的な組織は彼にメスメリズムを放棄するよう勧告しましたが、エリオットソンはそれを無視し続けます。

その結果、イギリスの医学界から追放されるという事件が起こりました。

◆催眠の名付け親、ジェームス・ブレイド

1840年ごろ、ロンドンの一人の若い医師、ジェームス・ブレイド(James Braid)は、ラ・フォンテインというメスメリストがメスメリズムのデモンストレーションを行うという噂をききます。

その噂を聞いたブレイドは医師としての正義感からか、「まだそんなイカサマが行われているのか!」と怒りを覚えたそうです。

それで彼は医師としての正義感から、そのイカサマをあばくために、そっとそのデモンストレーションに参加したのです。しかし、その手法をみればみるほど、ブレイドはこれに魅了されていきます。

当時のメスメリストの施術方法は、患者の頭のそばに立ちながら、体に手をかざしていく手法が使われていました。そこで一つブレイドの興味をそそったのは、メスメリストが頭に手をやったときに患者の目が上を向きながら一点集中したような状態になっていたことでした。

そこでブレイドは、この一点集中こそが、患者を通常の状態から、トランスへ導く鍵だと考えたのです。そして、この状態のことを、ギリシャ語の眠るという意味の単語、「HYPNOS」から、「HYPNOSIS」つまり、「催眠」と名付けたのです。

そして彼は、1843年に人類史上初めてとなる、催眠に関わる書籍を出版しました。そしてその本の中で、目の一点凝視がトランスを引き起こすことを紹介したのです。

◆ジェームス・エスデイルの催眠麻酔手術
同じ時期に当時のイギリス領インドで活躍した医師がいました。

彼の名は、ジェームズ・エスデイル(James Esdaile)です。

彼もまた医師でした。彼は「メスメリズム・イン・インディア」という本を書いています。

彼はメスメリズムを主に痛みの軽減とコントロールに利用していました。つまり催眠麻酔です。

彼はメスメリズムを使い500件以上もの手術を手がけました。そしてそれらの多くは、麻酔がなければ大変な苦痛を伴うものでしたが、メスメリズムを使用することで、手術後も多くの患者が通常の回復にかかる時間より早く回復していったのです。

しかし英国に帰ってきてこのことを話したときに、多くの医者は彼の主張を信じませんでした。

痛みの軽減にメスメリズムを使っているとして、イギリスの医学界から追放されかけたのです。

そしてこのことに対する議論が続きました。

しかし、クロロホルムが発見され、催眠によるペインコントロールの議論は行われなくなりました。

◆ナンシースクール
1864年、フランスのナンシーという町に、リエボー(Liebault)という医師が登場します。

彼は催眠を使ったセラピーの手法を発展させました。

彼の同僚の医師に、ベルネーム(Bernheim)という医師がいました。彼はある日、坐骨神経痛の患者をリエボーにみてもらったのです。するとその患者の症状はほとんど一日で治ったのです。

このことが理由でベルネームはこの催眠という不可思議なものを研究することになります。

彼はリエボーと協力して、ナンシー催眠スクールを設立するに至ります。

このナンシースクールですが、精神分析家として名前を残した、若き日の、フロイト(Sigmund Freud)がリエボーとベルネームと共に催眠を学んでいたことで有名です。

彼はここで熱心に催眠を学び実践していました。しかし、最終的に彼は催眠を使用しませんでした。

その理由ですが、彼が一般に公開したのは若い女性の患者が飛び上がり自分にキスしてきたというものです。彼はそのことにショックを受けました。しかし、これは事実として良く知れた裏話なのですが、彼はコカインを使用しており、そのために、彼の歯は抜けボロボロになっていました。そして彼は入れ歯をしていたのですが、それがうまくフィットせず、催眠トランスを引き起こすために上手く話せなかったと言います。

彼には、ブロイアー(Breuer)という名前の催眠家でライバルがいました。彼に対抗するために、フロイトは、「話し合い療法(Talking Therapy)」を発案します。しかし、これは貧しいものが受けれるようなセラピーではなく、総セッションに、100から300時間を費やすものでした。

この「話し合い療法」が後に、「精神分析(Psychoanalysis)」になります。そして、この手法はヨーロッパの心理学の歴史を変えました。

心理学において彼の手法はひとつの流行となりました。そして催眠は影をひそめるのです。

◆ウィリアム・ジェームス

1890年、ちょうどフロイトの心理学が流行る前に、ウィリアム・ジェームス(William James)は彼の心理学における最初の書籍である2部作、「心理学原則(Principles of Psychology)」を出版します。これは、催眠家にとっては、あるいは対人援助を仕事にしている人たちには必ず目を通して欲しい書籍ですが、完全に翻訳されたものは出版されていません。

◆分析派と行動主義
20世紀の最初には、心理学の二つの派が発展していきます。

一つはフロイトの流れを汲む精神分析の派です。代表的な人物はフロイトの弟子であった、カール・ユング(jung)とアドラー(Adler)です。そしてもう一方の派は、精神分析派には同意しなかった、行動主義者たちです。

行動主義は実は、アメリカの心理学者であった、ウィリアム・ツイットマイヤー(William Twitmeyer)の研究からはじまります。彼の研究はどのようなものだったかというと、患者の膝をハンマーで叩くと、足は反応して上がるというものです。

1902年、彼は、アメリカの医学協会に対して、「膝蓋反射」という論文を発表しました。この論文の第二部で、彼はとても興味をそそる研究内容を発表します。

それは、何度か膝をハンマーで叩く動作を繰り返し、そして、今度は叩くふりをして実際にたたかなくても、足はあがるというものです。

これは、条件反射に関するとても古い初期の論文です。しかし、アメリカの医学協会はツイットマイヤーの論文の重要な内容を見過ごしてしまいます。

◆条件反射とパブロフ

そして、この論文は、ロシアの研究者である、イワン・パブロフ(Ivan Pavlov)に渡ります。パブロフは何かの機会にこの論文を読み、2年後の1904年に、彼の最初の論文である、「条件反射(Conditioned Reflexes)」を書き上げ、ロシアの医学界に発表します。

彼はここで犬を使った実験内容を発表し、心理学はまた違った方向性へと進みだします。

◆ヨーロッパからアメリカ合衆国へ
催眠に関する研究はヨーロッパ大陸から、アメリカ合衆国への引き継がれました。

ハーバード大学の、ボリス・サイディス(Boris Sidis)は、「暗示の心理学(The Psychology of Suggestion)」を出版します。この本では催眠と暗示の関係が詳しく記載されています。

また同時期の1903年に英国の。ミルヌ・ブラムウェル(Miline Bramwell)は、「催眠の歴史(History of Hypnosis)」という本を出版します。彼はこの書籍の中で、これまでの催眠のさまざまな手法をまとめ上げます。

それからは目立った進歩はみられませんでしたが、1943年、エール大学の、クラーク・ハル(Clark Hull)は「催眠と暗示性(Hypnosis and Suggestibility)」という本を出版します。この本は心理学の側面から初めて催眠を扱った本です。また彼は、若き日の「ミルトン・エリクソン(Miiton Erickson)」にも多大な影響を与えます。

◆魔術師、ミルトン・エリクソン

今では、「エリクソン催眠」という名で多くの心理学者や催眠家がかれの業績を研究しており、特に、NLPの多くは彼の言語パターンなどが研究されています。ミルトン・エリクソン(Milton Erickson)は1920年から1980年までの60年間にわたり、ほとんどの日を催眠のセッションと研究に費やしました。

1日に14人までのクライアントを60年間にわたりセッションを続けてきた経験から生まれた彼の手法は、変化の責任をクライアントにさずける、許容的な催眠手法が使われました。

そして、彼の独特の催眠手法は、催眠のあり方をこれまでのものとはまったく変えるほどの影響を及ぼしたのです。

◆権威的催眠スタイルを確立させた、ジョージ・エスタブルック(George Estabrook)
ジョージ・エスタブルック(George Estabrook)はコルゲート大学で教鞭をとり、アメリカの軍事関係者に対して催眠を使用したメンタルトレーニングを施した、エスタブルックもまた、20世紀を代表する催眠家です。

エリクソンは許容的な催眠手法を好んで使いましたが、エスタブルックの手法は、古典的な催眠に見られる直接的で、権威的なアプローチを好みました。

エリクソンの登場以来、許容的な催眠こそが現代催眠の手法だと考える催眠家がたくさんいますが、時には権威的なアプローチをとることが良い結果につながることがあります。

よって、エリクソン催眠と共に、エスタブルックの催眠スタイルは、現代の多くの催眠家の研究対象になっています。

◆アンドレ・ウェットゼンホッパー(Andre Weitzenhoffer)
20世紀を代表する催眠家として、アンドレ・ウェットゼンホッパー(Andre Weitzenhoffer)もまた後世に偉大な業績を残しました。

特に彼の著書、「催眠の一般的なテクニック(General Techniques of Hypnotism)」は多くの催眠家に愛読されている良書です。

この本の中で、彼はこれまでの歴史上の催眠テクニックを簡潔にまとめいます。

◆デーブ・エルマン(Dave Elman)

エリクソン、エスタブルックと並び、今世紀の催眠に大きな影響を及ぼしたのが、デーブ・エルマン(Dave Elman)です。現在使われている催眠を使ったペイン・コントロール、催眠出産、年齢退行は彼なしでは発展できなかったものです。

20世紀に入り、アメリカの医者たちを悩ませたのが、手術をする際の死亡率の問題です。そして、手術で死亡するケースのほとんどが、麻酔の量を適切に使用できなかった事例から、麻酔の量を減らすために催眠を用いようとする動きが起こりました。

そこで目をつけられたのが、デーブ・エルマンでした。

もともとステージ催眠術師の息子として生まれたデーブは、人を一瞬にしてトランスにいれる術にたけていました。

特に彼の即効誘導は、これまでの権威的なスタイルと許容的なスタイルが上手くミックスされたもので、どのような患者に対しても、簡単に、しかも短い時間でトランスに入れるすぐれた手法です。

もともと心理学や医学の学位がないデーブでしたが、医者や歯科医を相手に催眠手法を教えたことから、今では、アメリカの医療業界では、ほとんどがデーブの手法を採用しています。

彼が書した「催眠療法(Hypnotherapy」は、今では最高の良書として、世界中の催眠家が愛読する一冊になっています。

◆レスリー・ルクロン(Leslie Lecron)
観念運動を使った指の動きで潜在意識レベルの答えを引き出す方法は、現代の催眠手法ではとても多く取り入れられている手法ですが、これらの手法はルクロンによってひろく広められました。

例えば、「はい」のサインが右手の人差し指、「いいえ」のサインが左手の人差し指、と決まっている場合、クライアントをトランスに誘導して、「はい」「いいえ」の答えを口からではなく、指の動きを通して答えさせるというものです。

この方法によって学生のテストの成績が上がったことが実証されています。

◆ジェフリー・ザイク(Jeffrey Zeig)

ジェフリー・ザイクは「エリクソン財団」の所長であり、アーネスト・ロッシ(Ernest Rossi)と共に「エリクソン催眠」の主要な著者であり研究者です。

エリクソン催眠が伝説になっているのは彼らの功績によるものといっても過言ではありません。

◆クラズナー博士(A. M. Krasner)

ヒプノセラピーの第一人者として多くの臨床の場で活躍した後、米国催眠療法学院を設立。多くのヒプノセラピストを世に送り出した。そのメソッドは全米におけるヒプノセラピーの基礎となっている。

ABH米国催眠療法協会(American Board of Hypnotherapy)の創設者。

著書に、Wizard Within(邦題:クラズナー博士のあなたにもできるヒプノセラピー)がある。

◆ブライアン・ワイス

元々精神科の医師であったブライアン・ワイス(Braian Weiss)は、あるセッション時の偶然から、「前世療法」という手法を発見しました。催眠療法の手法の一つであった、「年齢退行」や、「胎児期退行」よりもさらに時間軸を戻すという概念ですが、とても効果的なセッションの報告例がたくさん報告されています。

前世の記憶(あるいはイメージ)の信ぴょう性にはさまざまが議論があるものの、前世というものがあった、とすれば、という仮定で行われる「前世イメージ療法」として行われた場合にも同じような癒しが起きますので、必ずしも前世を信じていなければならないものではありません。

よって、スピリチュアルな面だけが注目されていましたが、ヒプノセラピーの一つの手法として定着しようとしています。

◆タッド・ジェームズ

ヒプノセラピストでもあり、NLPマスタートレーナーである、タッド・ジェームス(Tad James)は、特に「タイムライン・セラピー™️」を開発することで、これまでのヒプノセラピーでは行えなかったより細かい作業、より強力は癒しを短時間で完成させました。

「タイムラインセラピー™️」はNLPのテクニックとして紹介されていますが、このテクニックを上手く使用するためには催眠トランスと退行催眠の知識が必須です。

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